日々是好日


重見天日


新幹線に乗っている。混んでいる。

予定時間に乗れたためしがない。誰かと一緒の予定でない限り、選ぶのは自由席だ。今日は曇天で富士山は見えない。わかっていても長年の習性で、富士山の見える窓際を求めてダッシュする。良い年頃なので視線だけを動かして優雅な風を装うが、内心は闘争本能フツフツの潜在本能「急げ」命令に心から従うのである。
気持ちはぎりぎり滑り込みセーフ。座ったとたんに訪れる安堵感。何度も言うが曇天で富士山は望めない。密かな戦いを乗り越えた後、迎えてくれるのは新幹線旅の大きな魅力、座席前に備わる雑誌「トランヴェール」である。

今日は、指導仕事での東京行き。仕事なのだろう、隣の席のお姉さんも真剣な面持ちで、ぺちぺちキーワードを打っている。まだ正月休みだろうに一生懸命である。感心している暇はない。往路で資料と今日の流れを把握しておかなければならない。なのに、トランヴェールの表紙が私を誘惑する。
だめだ、だめ、だめ。まずは資料に目を通しておかなきゃ。老化に向けて成長を続ける私の脳みそ。追いがつお的に必要情報は刷り込んでおかなければならない。同じこの場所と時間を共有しているお姉さん、お互い頑張ろうぜっと無言のエールを勝手に送り、自分を調整する。一通り終わったあと、隣の同志に「お先に」と心の中で呟き、しずしずとトランヴェールを手に取る。

表紙はニット帽をかぶった秋田のおばあちゃん。「秋田ミラクルマーケット」とある。
頁をめくり、駅弁ダイアリーでわくわくする。今月は小田原提灯弁当。金目鯛の西京焼きと尾付き海老、鯛おぼろも入っているけれど、今日の気分はとりそぼろ多めを希望したい気分だ。めったに駅弁は食べないけれど、読んでいるうちになんとしてでも駅弁屋に行って食べなくてはいけない気持ちになってくる。おかずひとつひとつの説明が魅力的過ぎて、ダイレクトに胃袋を刺激するのである。ゆっくりと車窓を横切る景色と、ゆっくりと駅弁を頬張るビジュアルを想像してにんまりしまう。
次の頁をめくって、柚月裕子さんの連載をゆっくり読む。「あるものでいい豊かさ」。通りすがりの母と息子の会話を聞いて心が温かくなり、子どもの頃母親の作ったお焼きを一緒に頬張った時の心情がほのぼのと語られる。
その後、頁をささっと見て「湯守とっておきの旅」を読む。ゆっくり味わう。そろそろ上野駅だ。

年初め、悲しいニュースが続いた。
旅先の山深い場所で微弱な揺れを感じた数分後、古い建物がガタピシと揺れた。揺れと同時にスマホが緊急地震速報を告げる。一般車が入れないような山奥にいたので、仕事初めまでに家に戻れるかと、一人で留守番をしている愛猫のことを真っ先に考えた。おめでたいお正月番組は一斉に地震情報に切り替わる。元旦に家族でゆっくりしていたであろう震源地の方々の不安を思う。
13年前、仙台で被災した息子の顔が頭をよぎる。恐怖としか言えない現状を語った息子の表情とその凄惨な内容が思い出される。
3年前、近くの川が氾濫し被災した。車が沈まないよう(水没し廃車になってしまったが)移動させて、歩いた道路の雨は膝上になっていた。裏の家のお年寄りを見に行った家人は、腰の上まで雨に浸かっていた。鯉のぼりのように雨水に泳ぐプロパンガスのボンベ。朝を迎えて1階のリビングは泥だらけで、サイドボードの前には猫のトイレが漂流していた。
津波に襲われた能登の人々は、寒い中、あの時と同じような不安な思いでいるのだろう。いや、それどころじゃない。息子が言っていた津波発生時とその後の静かな恐ろしさに襲われているのだろう。住めなくなった家、ゴミの山になった町。ゴミの処分や支援を求めて、また、推測できないこれからの生活の恐怖や不安に、声を荒げ、責め合う人々。生活道具を背負って心細い様子で力なく歩いていた高齢者の姿が思い出される。
どうかたくさんの人が自分や大切な人の命を守れますように。どうか絶望に近い思いを、大切な人たちのことを思って、時間がかかっても希望を生み出すことができますように。祈りに近い、いや祈りそのもので手を合わせながら見守る。どうにもできない焦りのような思いで胸が満杯になる。

地方新聞には安否不明の方々の氏名と年齢が連日掲載されている。目を通しながら、一人でも多くの方々の生存確認がされることを心から願う。幼い年齢の方の掲載を見ると、哀しみに膨らんだ胸が、音を立ててぎゅうっと潰れるようで上半身ごと蹲る。新しい年を迎え、それぞれが帰省して楽しく団らんしていただろう時間に襲った地震を恨む。どうして…、いや、どうか一人でも多くの命が救われてほしい。どうか、どうか。

年始に出かけた客先の組織で挨拶された若い職員さんに、明日から石川県に向かうことを知らされる。災害ボランティアに向かうとのこと。飲み物を買いに行ったコンビニのレジの横に、たくさんの千円札が入った募金箱を見る。つられるように自分も財布からお金を出し募金箱に入れると、金髪の男の子が「ありがとうございます」と、私の目をしっかり見ながらお礼を伝えてくれる。
「できることが少なくてごめんなさい」。誰に対して言っているのかわからない。少しでも多くの人の不安が、ゆっくりでも良いから払拭されていきますように。避難所での生活に哀しみや恐怖が少しでも和らいでいきますように。祈らずにはいられない。
不幸ではじまった2024年。天災を恨みながら、でも1日1日と時間は重なっていく。がれきの下にまだいる方々を思う。寒空に、大切な人を一生懸命信じている家族たちの思いにこころを馳せる。

今日は仕事。新幹線に乗っている。明るい空を見て、富士山を期待して、川の流れを見下ろす。今この時間に突然に襲った不幸に悲しむ人がいる。今日は仕事である。受講される方々は、2月の実技受検に向け、自分のキャリアの証明を勝ち取るために、安くはない受講料と旅費をかけて様々な土地から私と同じ会場を目指している。
トランヴェールを閉じて座席前に戻す。
せめて寒い日になりませんように。水や毛布や食べ物が被災者の方にどうか心を灯す一助になりますように。
そして、今日の私の働きが、資格を目指し頑張ってきた今日の受講生に役立ちますように。不安が少しでも払拭され、自信の源を創出し明るい方向を見出す1日に、それぞれが尽力できますように。

重見天日、一陽来福。陰と陽の教えは春がくる嬉しさ。冬至で陰が極まった後、再び陽が来ることを説いた地雷復。悪いことが過ぎ去ればいい方向に向かっていく。
被災された方に、まだかけられる言葉ではない。冬至を超えれば春が来る。新年の前には晦だ。待っていれば、光はやがて闇を照らし出す。そうして、牛歩のようにも感じられる1日を、やっとやっとで積み重ねていく。
昏さから抜け出し、再び良い方向に向かう日が来ますように。1日ごとに陽を見上げられる日が来ますように。そうして、春が再び心を暖めて多くの人が明日を信じることができますように。
新幹線は上野から東京へ、到着前のトンネルに入る。富士山は見えない。今は見えない富士山の像をさやかに描きながら、降車の準備支度を整える。


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