日々是好日


世界の詩人


谷川俊太郎氏が逝去された。11月13日、92歳だった。

日本で唯一と言っていい。詩作でご飯を食べられた貴重な詩人である。
柔らかな文体で心に真っ直ぐ届く言葉の片々。感性をぎゅっと短い言葉に託す、生まれ持っての優れた才能と思っていた。けれど、才能の裏にはたくさんの試行錯誤があった。と、あらためて気づいたのは、購入した谷川俊太郎詩選集2を読んでのことである。
見たものを感じたまま言葉にする秀作が並んでいる。「なんでもないものの尊厳」「コップへの不可能な接近」「りんごへの固執」。“今、ここ”で感じたことを、対象を見つめながら、過ぎ去っていく時間と戦いながら、油断したら言葉にする前に消えていく感覚を確実な言葉にして捕まえて行く。そんな習作のような作品群だ。

某テレビ局の問題が世間を騒がせている。たくさんのCMが流れるはずのTV画面が、番組の予告画面で埋められている。
何が起こったかわからない。守秘義務を遵守しようとする建前的な問題と、コンプライアンスについての世間への申し開きが鬩ぎあっている。実体のない罪、当たり前になりすぎて、なにが問題だったのか掴み切れず、対応が不明瞭なままの記者会見。私は見入っている。価値観の変遷。もしもこんなことが「普通」に行われていたのかという驚愕。しかもその内容は、ドラマや通説で知っていたような類のものが、実態を持って解明を待たれている。
申し開きをしているお偉方は言葉を慎重に選ぶ。それは核心に触れさせまいとする精一杯のようにも見えてくる。責める側は狂気を帯びているようにも見える。真実の解明を盾に、それは恐ろしいほど知性を感じさせない応酬だ。

事実がどうということを述べる立場にないが、言葉は武器だとそれだけを強く感じる。力を持った者が弱い者の尊厳を踏みにじる。見え隠れするのは、「相手は口をつぐむだろう」と言った姑息で卑劣な思惑だ。発した言葉尻を捉えられないために、普段は饒舌だったはずの口をつぐんで隠遁する。そんな構図に皆がこの時ばかりと逃がすまいと奮起する。
問題となっているのは、なぜそうしなかったのか、なぜ見過ごしたのか、なぜそれを問題視しなかったのか。それは加害者からしたら「想定内」と感じていた感覚であり、それを「当たり前」としてきた価値観である。問われているのは「過去」の時間のことであり、対応する方になんだか見えてはこない「他者に触れさせてはいけないなにか」のように思える。


今、私が言いたいのは何が起きたかではない。言葉についてだ。言葉の力についてだ。相手を傷つけたり、挑発するたびに大事ななにかが失われていくその様だ。
言葉はとても大切なものだ。優しい言葉は誰間に勇気を与える。意図を持って言葉を悪用すれば容易に人の心を傷つけることができる。

時代は令和。世界の価値観が変わっていく兆しがほの見える。
谷川俊太郎氏の詩は力強い。何度も推敲され、言葉のもとである心を何度も行きつ戻りつし、ぴったり表せる言葉を見つけていく作業。その結果選び抜かれた言葉だけで、誰かの心に勇気の元を生み出していく。
時代は変わる。今まで良しとされてきたあれやこれやを問われる時代に来ている。
しかしだ。心はそんなに変わらない。太古の昔からこころはそんなに変わってはいない。今まで許されていたことが、誰かの心に大きな負荷をかけていたのだとしたら、それは大きく見直されていくべきものだ。

「どんなに白い白も、ほんとうの白であったためしはない」*

人は言葉を持つ生き物である。言葉は人を温める。言葉は時に人の心を抉る。それを十分留意して、生きていかなくちゃいけない。言葉のプロである谷川氏でさえ、見るものとそれを見る自分の目と心に問いかけ、言葉にする努力を重ねてきたのだ。
私たちは推敲することなく、言葉を使って人との関係を築く。一縷の小民である私たちの言葉は後世に残ることはない。しかし、相手の心にしっかり残ることだって少なくはない。言葉を発するのが仕事の中心である私たちは、届けられた人をリスペクトすることを忘れてはならない。どんなときでも誠心の欠片を手にしていたい。完璧な人間はいない。完璧でないからこそ、持っていなくてはならないものがあるはずである。

*谷川俊太郎『灰についての私見』より

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